バイトは時間の無駄であることが多いかも
こんにちは。
僕と同じ学生の皆さんはバイトをしている人が多いと思います。
僕もバイトを現在進行形でしています。
バイトには多くのメリットがあると思います。
他大学の人と知り合えたり、それなりのお小遣いを稼げたり、社会のことを学べたり。
バイトは自分自身を非常に成長させてくれると思います。
ただ、ある一定以上バイトをこなすと、メリットがお金を稼げること、のみになってしまいます。多くの場合は。
そして僕も今そのような状況です。
そして、そのメリット以上のデメリットが存在します。
圧倒的に時間を食われるとです。
僕たちにとって一番大事なのはお金ではなく時間です。
最終的に大事なのはお金かもしれませんが、今は将来お金を稼ぐために種まきの期間として時間が本当に必要なのです。
僕は現在独学で経済とマネーの勉強をしてますが、時間をかけずにお金を稼ぐ、という方法に非常に興味をもっています。
なんだかこれってうさん臭く思うと思います。わかります。
具体的には僕は外国為替証拠金取引、いわゆるFXでお金を稼ごうと思っているわけです。
今バイトを続けている意味は、そのための軍資金をためることです。
50万ためます。
そして今徹底的に相場のこと、相場に働くトレーダーの心理のこと、経済のこと、などを勉強しています。
そして暇さえあれば為替のチャートを見て相場を研究しています。
だいたいこれをこれから半年くらい続けます。
そして相場のことを理解できたくらいには軍資金50万が溜まっていますので、これを元手にキャピタルゲインを得ようということです。
これには一滴のうさん臭い要素はありません。
FXの世界というのは食うか食われるかの世界です。ゼロサムゲームです。
バイトで稼ぐほうがよっぽど楽だとは思いませんか。
でも僕は時間のほうが大事だと思ってます。
FXを体得するまでには時間が食われるのは承知ですが、そのあとは短期トレードで稼いだお金をどんどん妥協なきまでに長期投資に充てていきます。
株などの軍資金を得るために、FXで短期トレードをする。
短期トレードの軍資金を得るために、現在やむを得ずバイトをしています。
ただ自分の買いたいものを買って物欲をみたすためにお金を浪費するために、バイトをしているのではないです。
すでに僕の闘いは始まっています。
死ぬ気で頑張ります。
今回も読んでいただきありがとうございました!
千里の道も一歩から
みなさんこんにちは。
僕は「千里の道も一歩から」
という言葉が好きです。
これは、千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まる、という意味です。
これから大海に漕ぎ出そうそするとき、または港から離れて心細くなっているとき。
何をするにしても一朝一夕で達成できるような目標はありません。
途方もない道のりにたいして自分の存在のちっぽけさにひれ伏してしまうときがあります。
しかし、どんな厳しい道のりであろうと、それを達成するためにはまず第一歩を踏み出す必要があります。
それはどんなに小さい一歩であっても確実に目標への距離を縮めてくれます。
まず一歩を踏み出すことの重要さ。
大変な目標を掲げているとき、何回も何回もこのことばを繰り返し繰り返し声に出して一歩を踏み出していこうと思います。
僕には一つの大きな夢があり、それに対して徹底的に努力します。
千里の道も一歩から。
がんばろう。
今回も読んでいただき本当にありがとうございます。
イライラにはなんの実益もない
みなさんこんにちは。
今日は「イライラ」という感情について考えてみたいと思います。
毎日毎日僕たちはこのストレス社会ともいわれる社会を生きているわけですよね。その中でときとして非常にイライラしたりする瞬間が訪れるわけです。
前を歩く人がモタモタしていてなかなか追い越せないだとか、電車で大声で電話する人がいて迷惑なときとか、自分が思った通りに事が進まないときとか。。。
ストレスを感じるような瞬間というのは日常生活において多々あるわけです。
たしかに僕もイライラする瞬間はありますし、イライラするに値する出来事もあります。
このイライラするという感情が起こることは人間にとって当たり前のことだと仮定しましょう。
次にこう考えます。
自分はイライラしているが、このイライラという感情によってこの現状を良くすることは果たして可能なのか。
ほとんどの場合、このイライラという感情は何の実益もないことが多いです。
これは僕の経験上です。
自分がイライラすることによって、電車で電話がうるさい人が電話をやめてくれるわけではないですし、前を歩く人の速度が速くなるわけじゃないことは、明らかだと思います。
であるならば、仮にイライラしてしまったとしても、そこで自分の感情を見つめて、「イライラしても何の実益もないな。ならば、現状を良くするために自分が行動を起こそう」
と考えてすぐさま行動したほうがはるかに実益があるわけです。
人はイライラしている自分を悲劇のヒロインにでもみたてて、それを他人にみせることで自分への同情をあつめ、集団で群れてあたかも強くなったかのように感じ、空虚な集団意識にの中に自分自身を埋没させることによって安心しているのだと僕は思います。
最近ではSNSにそれをアップすることによって、指数関数的な道場の集め方をしようとします。
こういう点においてはSNSとそれを悪賢く、そしてあたかもまっとうに生きているかのように使用し見せるそれらの人間は、害悪以外の何物でもありません。
もちろんSNSの有効的な活用のしかたは存在するし、ツイッターは現代において革命的なツールだと思います。
それがこのような負の感情やくだらない承認欲求に毒されて陳腐化してしまっているため、SNS上での友達とのつながりを僕は切断しました。
そもそもSNSを辞めただけで切れる縁なんて最初から大した価値はないですよね。
ということで、今回はイライラという感情について考えてみました。
参考になれば幸いです。
今回も読んでいただき本当にありがとうございます!!
「今ここ」に一生懸命コミットすることは本当に正しいのか
みなさんこんにちは。
今日も寒いですね。僕はこの寒い季節が大好きです。
外の空気のピリピリした感じ。
心と体がそれに同調して洗練されていくような感覚があります。
さて、しばしば、「今、ここ、を精一杯生きよう」というフレーズを耳にしますよね。僕はこのフレーズが好きなのですが、これについてもう少し考えてみようと思います。
今ここ、というのは文字通り今この瞬間という意味ですよね。
時間というのはさらさらと流れていきます。過去から現在、そして未来へと。
一見この時間軸というのは連続しているように見えますが、よくよく考えてみれば「今ここ」という刹那的な点のプロットであり、遠くからみたらそれは線のように見える、ということだと思います。
ただなんとなく生きていては、その刹那を時間軸にプロットすることはできず、その瞬間この世に存在していなかったことと同義になる、といっても過言ではないと思います。
たしかな未来をつかむために今という時間を精一杯生きる
ということは非常に大事だということが分かります。
しかし、では今という時間をどのように精一杯生きれば良いかということを考えなければいけませんよね。
ただ盲目的に目の前のことにだけフォーカスしていたら、全体として見当違いな道を歩んでいた、ということになってしまうと思います。
つまり、この「今ここを精一杯いきる」ということには、一つの前提条件があるのだと僕は考えます。
簡単です。
それは、「1年後、2年後、5年後、10年後のビジョンをはっきりと考え、持ち、そのためにどんな種まきを今すべきなのかを徹底的に考える」
という前提条件です。
目の前のことにちゃんとコミットしていく、ということは確かに大事なことだと思います。
でも、たとえば、今の僕の生活でいうと、目の前にあることは大学の課題です。
課題はたしかに大事ですが、そこだけに全力でコミットしたらどうなるでしょうか。
僕はそのことを経験則からわかっています。
現在僕は大学2年生です。後期の授業の真っただ中です。
僕の2年生前期の生活を振り返ってみますと、ただただ毎日の課題に追われる毎日で、課題が大変課題が大変忙しい忙しい、とばかりこぼして、課題をクリアすることはできましたが、得たものは本当に小さなことだったと思います。
つまり、それにかけた時間に対して得たものの割合が非常に少なかったのです。
これは、自分が目の前のことに精一杯取り組んだのにもかかわらず、ほとんど将来につながるものがなかった、という、「今ここを精一杯生きる」という意味が表れていません。
なぜなら、先ほど僕が言った前提条件が欠如しているからなのだと思います。
はっきり言ってしまえば、時間をかける対象が見当違いだった、ということです。
大学の課題は達成しなければ単位も出ませんし、完全にやらないとなると、それもダメです。大学の課題にはある一定の価値があるからです。
その恩恵を受けつつ、自分にとって一番利益となる対象に時間をつかうということが大切だと思います。これはもう確実です。
僕は後期は何をするか、もう決めています。
大学の課題はクリアしつつ、あらゆる誘惑を排除し、経済学、マネー、投資の勉強を徹底的にやり、本を読みまくることです。
当然僕には友達もいますが、その人達と過ごす時間は最小限にしたいと思います。
一緒に過ごす時間に対して得られるものがそこまで多くないと思うからです。もちろん素晴らしい人たちばかりなのは自分でもわかっていますが、あくまで「自分の成長」ということを考えて相対的に考えた場合、の話です。
僕は友達が大好きですから。
すでに僕はSNSをすべてやめました。LINEは最低限の連絡手段として残してありますが。
僕は少なくとも1年後の自分の姿を想像し、今何やるべきかを考えました。
「今ここ」にコミットするのはそれが完全にできてから、の話です。
そして僕はその準備ができました。
すでに自分との闘いを始めました。
1年後の自分がもう楽しみで仕方がありません。
とにかく徹底的に頑張ります。この1年を完全に自分の人生の転機にします。絶対にします。
今回も読んでいただき本当にありがとうございます!
またお会いしましょう!
環境を大きく自分から変えてしまうということが大事かも。
みなさんこんにちは。
ずいぶんと寒くなってきましたね。
今日は大学へ行ったあとそのまま帰宅するのではなく、大学の図書館に直行しました。
何をしてたかといいますと、ひたすら経済学を勉強しています。自分は工学部に所属していますので、経済学は専門外なのですが、経済学を学ぶことは必要不可欠であると最近気が付いたので、徹底的に勉強を始めることにしました。(このことについてはまた記事にするつもりです。)
さて、僕は実家から離れて下宿をしながら大学に通っているわけですが、実家から仕送りをしていただいて、そしてバイトをしながら生活しています。
つまり、親のすねをかじりまくりながら生活しているわけですね。
現在僕は大学2年生ですが、いままでの1年半の大学生活を振り返ってみて、一体親に大きな負担をかけてまで得たものはあったのか、と考えると、本当に得たものが少ないと思ったのです。
いわゆる旧帝大に通っているのでそれなりに大学の質は高いわけですが、なぜ僕は得たものが少ないのでしょうか。
その理由は簡単です。親の力を大きく借りて、ただなんとなく大学生活をだらだらと過ごしながら、友達となんの生産性もないような会話をし、女の子と遊び、バイトで稼いだお金をなんの実益もないことに使っては自己満足に浸っている。
今日僕は一つの決断をしました。そしてその決断を親にLINEで報告しました。
「来月からの仕送りは家賃代だけにしてください。」
親にこのようにLINEしました。
最初は拒まれましたが(おそらく僕の生活のことを親は心配してくれているのでしょう)、自分の強い意志を伝えたら親は理解してくれました。
僕はいろんな人の話た本を読んだりしていく中で、やはり現在の生活の延長上に成功は存在しないと思いました。
成功するためには、無理やりにでも現在の環境をガラッと変えて、あらたな環境、それは自分によってより厳しい環境、に身を置く必要があると今は強く感じています。
僕にとってその最初の一歩は、親からの仕送り金額を最小限にしてもらうこと、です。
この厳しい環境のなかで、自分の頭で考えて、工夫して生活していきたいとおもいます。
とにかく、このままヌルい大学生活をしていくのであれば大学なんて辞めてしまったほうがいいと思っています。
国内の大学ランキングでいったら上から5本の指に入る大学であっても、自分を含め周りの友達も、はっきりいってヌルいです。
もちろんすごい友達もいますが、それは実はごく少数なのです。
高校生は旧帝大だとかそーいうネームバリューとかに変な価値を見出していると思いますが、それはまったくの間違いです。
あくまで自分自身がどうあるか、そいうことがすべてだと僕は考えています。
過剰に体裁を気にする前に、自分自身の考えを分析してみると、きっとあなたにとってプラスにあることがあると思います。
今日はここまでにします。
僕は少なくとも1年をかけて自分自身を完全に変えたいと思います。
1年後には周りの友達の手の届かないところまで僕は行きます。
そのために、生活にメリハリをつけて、やることとやらないことをしっかり決めて、一度決めたらもう後ろは振り向かずに徹底的にその本質となるところをやりまくります。
今回も読んでいただき本当にありがとうございました。
ただ消費を繰り返す生活から抜け出す
みなさんこんにちは。
僕はとある大学の2年生です。
本日は11月22日ですが、夏休みはとっくに終わり後期の大学の課題に追われる毎日です。
僕の所属している学科は非常に特徴的で、とにかく課題が半端ない。授業時間外での拘束時間が非常に多いです。
前期は課題に追われる日々で大変でした。
そして自分のやりたいことができないような状態が続いていましたし、バイトもろくにできない状態だったので常に金欠でした。
(まあ、やりたいことができない、というのは今から思えばただの言い訳でしかなかったと確信していますが。)
そして夏休みに入る前に、そのような生活に意味を見いだせなくなり、何か自分から行動を起こそうと思いました。
夏休みに20日間の一人旅に出かけたのです。
20日間常に一人で考え事をしながら日本のいろんなところをめぐりました。
本当にいろんなことを考えました。この時間はおそらく僕の今後の生活(すでに旅が終わってから2か月がたっていますが、その中でも非常にその旅が有用であったことを実感しています。)に非常に大きな影響を与えてくれると確信しています。
この旅の詳細については今後少しずつこのブログにて掲載していこうと思っています。
というか、記事にしたいことがありすぎて早く書きたいくらいです。
ブログの書き方や、文章力が非常に乏しいとは思いますが、情報を発信して共有したい気持ちは強いものであると思っているので、不断の努力によって今後時間をかけながらカバーしていきますので、温かく見守っていただけると幸いです。
さて、今回の記事のタイトルからもわかると思いますが、「消費」ということについて最近思う所があり、自分自身の改善点を見つけたうえで行動し、行動を開始してから1か月がたちましたので、報告をさせていただきたく思います。
僕は大学2年生の前期、今から半年前ですね、課題の雨に降られながらとにかく忙しいことを理由に消費に走りまくっていました。
僕は現在一人暮らしをしていますが、一人暮らしに自炊はつきものですよね。でも忙しいときって自炊せずにコンビニ食とかスーパーのお惣菜買ったりとかして、とにかく消費行動に走りまくります。
マイバッグも持参せずにスーパーに駆け込んではビニール袋の追加料金3円または5円を払うことに躊躇せず、何食わぬ顔で自分の部屋に持ち込んでは忙しい忙しいと言いながら割りばしでご飯を食べ、食べ散らかした容器をごみ箱にポイして終了。
コンビニにマイバッグを持っていくなど考えたこともなく、異常に高いお金を出してコンビニ弁当にとどまらずお菓子やジュースも買って、「忙しい自分へのご褒美」とかおもっちゃったりなんかしてプリンも買って自宅でほおばる。
なんだか最近こういうことが非常にむなしくて哀れなことだと思い始めたのです。
別にマイバッグを持参していかないから環境破壊だ、などという偽善的なことを言うつもりはまったくもってありません。
しかし僕が思うのは、不必要なまでの消費をすることと、忙しいこととはまったくもって関係がないということなのです。
僕は、自分自身がただただ消費したいという欲を達成せんがために、忙しいという口実をつくっていただけに過ぎない、ということに気が付いたわけです。
忙しいことを理由に消費を繰り返し、忙しいことを理由にバイトができくて金欠だという。
僕の今までの欠点は、「何が与えられているか」にばかりフォーカスしていて、「与えられているものをどう使うか」を考えていなかった、ということです。
大学の2年生でこのことに気が付いたのは遅いと僕は考えますが、言い方を変えれば不幸中の幸いかもしれません。
早い段階で損切できたからです。
みなさんも今一度自分の行動を観察し、消費行動や自分のマインドにフォーカスしてみてください。なにか気が付くことがあるかもしれません。
次の記事では、具体的に僕がどういう風に生活を改善しているのか、また、これからどう改善していこうと思っているのかについて書いてみようかと思います。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。