イライラにはなんの実益もない
みなさんこんにちは。
今日は「イライラ」という感情について考えてみたいと思います。
毎日毎日僕たちはこのストレス社会ともいわれる社会を生きているわけですよね。その中でときとして非常にイライラしたりする瞬間が訪れるわけです。
前を歩く人がモタモタしていてなかなか追い越せないだとか、電車で大声で電話する人がいて迷惑なときとか、自分が思った通りに事が進まないときとか。。。
ストレスを感じるような瞬間というのは日常生活において多々あるわけです。
たしかに僕もイライラする瞬間はありますし、イライラするに値する出来事もあります。
このイライラするという感情が起こることは人間にとって当たり前のことだと仮定しましょう。
次にこう考えます。
自分はイライラしているが、このイライラという感情によってこの現状を良くすることは果たして可能なのか。
ほとんどの場合、このイライラという感情は何の実益もないことが多いです。
これは僕の経験上です。
自分がイライラすることによって、電車で電話がうるさい人が電話をやめてくれるわけではないですし、前を歩く人の速度が速くなるわけじゃないことは、明らかだと思います。
であるならば、仮にイライラしてしまったとしても、そこで自分の感情を見つめて、「イライラしても何の実益もないな。ならば、現状を良くするために自分が行動を起こそう」
と考えてすぐさま行動したほうがはるかに実益があるわけです。
人はイライラしている自分を悲劇のヒロインにでもみたてて、それを他人にみせることで自分への同情をあつめ、集団で群れてあたかも強くなったかのように感じ、空虚な集団意識にの中に自分自身を埋没させることによって安心しているのだと僕は思います。
最近ではSNSにそれをアップすることによって、指数関数的な道場の集め方をしようとします。
こういう点においてはSNSとそれを悪賢く、そしてあたかもまっとうに生きているかのように使用し見せるそれらの人間は、害悪以外の何物でもありません。
もちろんSNSの有効的な活用のしかたは存在するし、ツイッターは現代において革命的なツールだと思います。
それがこのような負の感情やくだらない承認欲求に毒されて陳腐化してしまっているため、SNS上での友達とのつながりを僕は切断しました。
そもそもSNSを辞めただけで切れる縁なんて最初から大した価値はないですよね。
ということで、今回はイライラという感情について考えてみました。
参考になれば幸いです。
今回も読んでいただき本当にありがとうございます!!